どうぞよろしく!
新しいことを始めるとき、いろいろ準備したあと、最後は「どうぞよろしくお願いします」と手をあわせる感覚って、みなさんもあるのかな?
不安に思うことを一つ一つ確認して自分を納得させつつも、やはりどこかで自分の手におえないものがあるということ。
街なかの神社にするすると引かれていき、いつの間にか手をあわせている自分がいました。
自分ひとりの存在は小さいですもんね。 でも皆で一からものを作る時間を得られたことを感謝します!
Music Man
何気ない街の景色や自分が歩いているときに見た道の様子が映像として蘇ってくるときがある。目を開けていても見えるその景色は、ある意味現実。
今とそのときを生きる時間が始まった。やっと身体が音楽になってきたようだ。
青い鳥
その青い色に「はっ」とさせられる鳥。「かわせみ」
短い間の田舎暮らしのとき、よく川で、餌を捕っては巣にいる子供のために往復する姿をみていました。
でも今はその青い姿を見なくても大丈夫。
この夏、子供のいっぱい食べている姿を見たり、一緒に横になって絵本を読んだりできたから。
また、ゆっくりだけど進んで行こうという気になりました。
「ありがとう、みーちゃん」 また遊びにきてね。
〜大切な場所〜 長崎
長崎の西坂公園に彫刻家、船越保武の作った「長崎26聖人記念像」がある。
23年前にこの像に会いに行ったことは自分にとって意味深い、大切な想い出として心に残っている。
その西坂公園にある「長崎26聖人記念館」のLED照明の施行を8年前に手がけた知り合いの方が、今、長崎を周り、「隠れキリシタン」について知る旅を続けているという。
彼はバイオリニストでもある。 美しいものと悲しい歴史の結びつきに何か「言葉で説明できないもの」を感じて行動しているのだろう。
『沈黙』の作者、遠藤周作は解題に、大学の年度あたまの講義のあとに一人の女学生がやってきて自分が『沈黙』の登場人物、転びの宣教師「フェレイラ」の末裔であると告げたとき、なにか奥深い運命の綾を感じたと書いている。
自分に繋がる「一本の糸」をたぐるように歩み出すときが、それが必要な人には来るようだ。
それが何のためなのかは「あとになってわかる」のだろう。