ミストな神社
今日も東京は暑かったですね。また37度越えです!
午後、上野にて身体の運用法と基礎から応用までの診断、クリニック的レッスンを受けたあと、稲荷町近くの神社で面白い光景に出くわしました。
なんと賽銭箱のある「拝むエリア」の上にパイプがわたしてあり、そこからミストがシュワ〜とでているのです。
ちょっと見はなにか霊験あらたかな現象か!という感じなのですが、じつは参詣者のためを思ってのサービスだったのですね。ありがとうございます、下谷神社。
自分で考え、検証するというポリシーでやってきたドラム奏法をこの五月から素晴らしい方について習い、見直しているのですが、やはり奥が深いですね〜。
またやる気が湧いてきました。 目標を下谷神社でお願いして、気分も充実!
祭にゆく浴衣姿とすれ違うとき、「江戸」を感じて帰って参りました。
懐かしい君へ
この夏、とても嬉しいことがあった。
三十年前の教え子が、自分のブログに書き込みをしてくれたのだ。
海外にいる彼女は自分が高校の国語教師だったときの授業のことを覚えていてくれていて、それがとても嬉しい。
自分が大事にしている物語を生徒の皆とじっくり読み進めるという時間を過ごせたということは本当に良い想い出だ。
多感な生徒と多感な自分が、読んでいる「物語」から深いものを感じていた時間。
それはかけがいのない時間だったのだと、今本当に強く思っている。
この暑い夏、自分は教え子たちが世界の中で明滅する「シグナル」のように存在していることをイメージし、実感した。
あのころの日々は自分がドラマーとして生きるうえでのエネルギー源なのです。
あのときの君たちは今、どうしているだろう。
忙しい日々を送り、疲れているかもしれない。助けてくれる人はそばにいるかい?
ゆっくり眠れる夜はあるかい?
それぞれの人生で不条理を感じるとき、またあの物語を思い出したり、読み返してくれるとうれしい。
世界の中で明滅する「シグナル」のように存在しているみんな。
その「シグナル」が明るく光り続けることを願っています。
どうぞ、皆、元気で!! 梅津光司
さよなら 龍園
いつも横断歩道で信号待ちをしていたとき、何気なく見ていた昔ながらの構えのラーメン屋が突然店を閉めた。
龍園。
旧町田市役所前(現町田シバヒロ)正面にある老舗中華料理・ラーメン店で、
当時の市役所が開庁した1970年(昭和45年)に創業し、約48年に渡って営業してきた。
シャッターに貼ってあった閉店を知らせる紙が雨に濡れているのを見ると、店主の寂しさが滲んでいるような気がしてならない。
僕たちは、人を見送るだけでなく、日々何かが突然消えて行くことを経験する。
言葉で表しきれない気持ちを、どう受け止めていけば良いのだろう。。
「ご挨拶」のうれしさ
facebookに季節の気分、思いを書き、自分を表明する人のことをとんと見かけなくなくなった。自分の思いが逆巻く潮流にさらわれるようにあっという間に「過去の出来事」として消し去られ、紛れてしまうことに「虚しさ」を覚えるからなのだろう。
昨日は演奏の現場で「お中元」をいただいたり、お盆に帰省する仲間からお土産にする予定の「青森名物のたれ」のしょっぱさは大丈夫ですかなどと打診をうけたり、日本人らしい「気遣い」と「ご挨拶」を受けた。
思いの表明の「もの」を手渡したり、会話をするなかでの「共有感」の力の強さを味わえた昨日の仕事は、なにか温かい気分で終えることができた。
まかないをいただいているときのビールを「日本人でよかった」と、心の中でつぶやき、飲んでいたことを仲間たちは知らないだろう。
「浮世絵」モダーン展
大正初期に登場し、昭和10年代まで制作・出版された「新版画」展を町田版画美術館に観に行ってきました。
初日は観覧無料ということで、凄い人出。
皆さん心の中で素晴らしさに「うーん」とうなっているような顔つきでした。
もう一度、じっくり観に行こうと思っています。