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扉あけの日々の雑記

ドラマー梅津光司の日々の雑記です

“Danny Boy"

 Voセッションのバックを勤めると、時として「うーん」と感じ入る瞬間がある。

今の自分にとって「事後的にわかる」ということがキーワードなのだが、

自分がさらに老いたとき、果たして自分の醸す「味」に自覚的になるのだろうか。

結局最後はそれについて事後的に解ることなくこの世から消えていくのだろう。

 

 今日”Danny boy”を歌われた方は齢75超えと見受けられたが、その声のかすれ具合とトーン、そして立ち姿に過ごして来られた時間がにじみ出ているように感じられた。

 なぜ英語の歌を歌おうと思ったのかは解らないが、「なにかきっかけがあったのだろうな」などと思いながら、歌い終えたその方に譜面を返した。

 

 私は耳の遠い父の前に現れるとき、急に近くに行かないようにしている。遠目から存在を認知してくれるような導線で近づき、驚ろかせないように話し出すことを心がけている。

 父の姿を投影したのだろうか。

 その方のバックで演奏するとき、可能な限り「驚ろかせないこと」を心がけていたように思う。

 

 カウンターで聴いていた馴染みの若いギタリストがステージにやってきたときに

「こんなに小さな音でドラムを叩いているのを初めて見ました」と不思議そうな顔で話しかけてきた。

 それを聞いて「老いたことの意味が人に影響を与えることもある」ということが

解った思いがした。この理解のあり方はパーソナルだが普遍的なものなのではないだろうか。

 

 ギタリストの彼もやはり「事後的」に理解するのだろう。

 

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