海と山の里でのレコーディング
今日は海と山に囲まれた友人宅でのレコーディング。
アトリエのようなその場所は俗世間を離れて音に集中できるのです。
塵一つない、空調の利いた、「快適さ」を売りにしている最近のスタジオは「音楽は金がかかるな。。」という実感を肥大させる。
でも今回のレコーディングは違った。
いつもの自分から音楽が羽を広げて飛び立つ実感をもてる瞬間。
なかなかあるものではないのだが、今回の友人宅でのレコーディングではそれがあったのです。
今まで音楽を続けてきて良かったという思いと、もっと良い音を出したいという強烈な欲求がわき出したのは自分にとっての大きい収穫で、またさらに歩き出したいという気持ちです。
ありがとう!よし美さん、もといさん、あべさん!
この曲も今回、さらに違う味わいになりました。 CDに、乞うご期待!!
「今年もある」ということ
今日は八王子の古本市へ。
みながゆっくりと本を触り、読み、「時間」を味わっている。
何気ない「今年もある」光景なのだろうが、今年は訳が違う。
洪水を免れた「奇跡に近い日々」なのだ。
道行く人の背中に「安堵」と「疲れ」を感じ、「今年もある」ということの有り難さを思った。
ゆっくりと。。
台風一過ですね。何か毎回、「耐性」を試されるかの状況が訪れます。晴天時と荒天時の判断の切り替え方と、その両時の感性、行動力を併せ持つ「達人」には誰もがなれるわけではないですよね。
「ちょっとゆっくりしよう」という感覚で過ごせる日があったらいいな。
どうぞ、御聴き下さい。
記憶の書店
好きな場所に通っていたことが街の記憶になるのだろうな。
自分の東京、町田の記憶を今はなくなった古本屋「高原書店」が担っているのは間違いない。
様々な人が置いて行った「時間」を眺めているような気分で店内を歩いていた感覚を、まだ生々しく覚えている。
「もたないことだな」といった人がいた。
失ったときに大きなショックを受けるような「大切なもの」「大切な場所」「大切な人」を持たないほうがいい、という意味で言った言葉なのだと思う。
だが、そんなことは可能なのだろうか?
ボディーブローのように効いてくる「ズン。。」という喪失感に対処する方法はおそらくないのだろう。
今年の夏の味わいの一つとして、「喪失感」が記憶に刷り込まれた。。
時間、想い、、。
あのとき、あの曲で「時間の流れ」を感じて演奏していたのは確かだった。。
そんな思いでこのコラージュを作りました。
今回のフライヤーの裏面。「なにも、文章を載せたくないな」と感じ、これだけにしました。 フレンドリーではないけど、素直な自分だと思う。
夏かな?
7月の半ばに温かい麺類を食べたくなるなんて今までなかったです。
今日は朝から冷えて温かいものが恋しい感じ。
ということで本日の昼は素朴系の東京ラーメンでした。